グリーフケア
病気や不慮の事故、あるいは自死などで大切なパートナー等を亡くした経験を持つLGBTQの方もいらっしゃることでしょう。これが異性のパートナーであったり、親きょうだいであれば、家族や親族、同僚や地域コミュニティの方が支援してくださることでしょうが、カミングアウトが困難だったり親族の理解が得られないなかで同性パートナーと連れ添ってきた方の場合、必ずしも支援が得られなかったり、誰にも悲しみを打ち明けることができなかったりするかもしれません。
プライドハウス東京やNPO法人パープル・ハンズでは、大切な人を亡くした悲しみや喪失感を誰かと共有することで傷を癒したりする「グリーフワーク」の活動が始まっています。
今回、この「グリーフワーク」の集まりに参加している当事者の方の手記集をシェアし、実際にLGBTQ+の方が体験してきたことをリアルに感じていただきながら、「グリーフワーク」という場があること、それが大切な人を亡くした方たちにとってどのような意味を持つものであったかということを知っていただくことで、大切な人を亡くしてしまった方が孤立無援状態に置かれたり絶望したりせず、コミュニティのサポートにつながることができたら…という願いで、このWebページを立ち上げることになりました。
毎月数本ずつ、連載のように手記(死別体験記)等の記事を掲載していく予定です。
もし、愛する人と一生連れ添っていきたい、生涯を共にしたいと思っているけど、もし「その時」が突然訪れてしまったら、自分の精神が耐えられるかどうかわからない…とか、いまから少しでも不安を解消できるようなことをしておきたい…と感じる方はぜひ読んでみてください。
そうでなくても、少しでも興味がある方は、読んでみてください。
私たちLGBTQ+コミュニティのメンバーは、決して独りではありません。つらいとき、困ったときにも、必ず相談できる場がありますし、それは大切な人を亡くすというこのうえない悲劇に見舞われた方であっても、同様です。そのことをぜひ、知っていただければ幸いです。
- ※このページで紹介する手記は、実際に同性パートナー等を亡くしたLGBTQの方たちが書いたものです。手記ではなく、インタビューのかたちでお伝えする場合もあります。プライバシー保護のためにお名前等を変えてお伝えします。
- ※もし、自分もパートナーを亡くした当事者で、手記を寄稿したいという方は、ぜひご連絡ください。
- ※ここで紹介する手記集は、死別体験を綴ったもので、亡くなった人のことについての記述を含みます。もし、不安やショック、過去のつらい出来事のフラッシュバックなどを覚えた場合は、読むのをやめて、いったん記事から離れてみてください。万が一、深刻な落ち込みやメンタルの不調に悩まされるようでしたら、『LGBTQ+ いのちの相談窓口』や『よりそいホットライン』の性的マイノリティ専門電話相談などを利用してもよいと思います。
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はじめに
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目次
けんじさんの死別体験(50代ゲイ)
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けんじさんの死別体験
けんじさんの死別体験記をお届けします。けんじさんは同窓会に出席して数日家を空けている間に、パートナーのひろしさんが家で亡くなってしまいました。警察がやって来て、遺体も荷物も持って行ってしまいました。一緒にご飯を食べる人も一緒に寝る人も、ケンカをする相手もいない寂しさ。眠れない、何も食べられない日が続きました。亡くなったのが同性パートナーであったため、現行法の下では、けんじさんには身元確認も、遺体を引き取ることも、葬儀をする権利も与えられませんでした…そのことが、パートナーを亡くした悲しみに追い打ちをかけました。自分が「世界一不幸なんじゃないか?」と考え、自暴自棄になっていた時期もありました。そんなけんじさんも、グリーフケアとの出会いもあり、少しずつ悲嘆から回復してきました。
けんじさんは、この死別体験記を掲載するにあたり、世の中にはパートナーの死を描いたブログ等がたくさんあるが、自分のパートナーの死に直面した当事者にとっては、他の人の長々としたストーリーをゆっくりと読んでいる心の余裕、時間の余裕がない、自分のパートナーの死の後に、いったいどんなことが起きるのかということをただ知りたいと思ったという、ご自身の経験から、例えば「自宅でパートナーが亡くなった場合、どんなことが起きるか」ということや、「グリーフケアの大切さ」に焦点を絞った3つのエピソードを書いてくれました。話が重複する部分もあるのですが、そのような理由で3つのエピソードを掲載しているということを、ご理解いただければ幸いです。エピソード001 旅行から帰ってきたらパートナーが亡くなっていた
私(けんじ)が51歳のときの話です。相方のひろしさん(仮名:54歳)と付き合って20年が過ぎていました。二人はほぼ一緒に暮らしていて、時々けんかもしたけれども、週末は一緒にご飯を食べたり、映画を見たり、旅行に行ったり、それなりに楽しく暮らしていました。一緒に暮らしていましたが、ときどきは他の友だちと遊びに行ったり、飲みに行ったり、旅行に行ったりと、お互いに束縛せずにいたことが、20年も別れずにいられた理由かもしれません。
エピソード002 遺体を警察が持って行ってしまった
私(けんじ)が51歳のときの話です。相方のひろしさん(仮名:54歳)と付き合って20年が過ぎていて、私たちは、ほぼ一緒に暮らしていました。ところが、あるとき、私が同窓会に出席するために旅行に行き、日曜の夜遅くに帰ってきたら、ひろしさんがベッドに横たわって動かなくなっていました。救急車を呼びましたが、すでに亡くなっているとのこと。そして、夜中の2時半頃に警察が来て、いろいろ聞かれました。私は旅行の飛行機のチケットの半券を持っていたので、警察に疑われるような事情聴取などはありませんでした。しかし警察は夜中の4時過ぎまでいて、ひろしさんの遺体も荷物もすべて持って行ってしまいました。私はすっかり疲労困憊していましたが、寝ることができませんでした。そのまま朝を迎え、8時に家を出ました。今から考えると仕事に行かなくても何とかなったような気がしますが、何も考えられない状態でした。
エピソード003 悲嘆からの回復—グリーフケアとの出会い
私(けんじ)は、51歳のときに、20年一緒に暮らした相方のひろしさん(仮名:54歳)を亡くしました(X年9月)。糖尿病腎症で透析をしていましたが、すぐに死ぬような状況ではありませんでした。しかし、私が旅行に行っている間に部屋で亡くなっていました(エピソード1、2参照)。突然に相方を亡くした私は、亡くなった日も仕事に行き、ひろしさんの友人に連絡したり、警察や行政に対応したりと、やらなければならない(と思い込んでいた)ことがたくさんあり、かなり忙しかったことは確かですが、今思い起こせば、何をしていたかを思い出すことができません。ただ、家に帰ると誰もいない。一緒にご飯を食べる人も一緒に寝る人も、ケンカをする相手もいない、ということがひたすら寂しかったことを覚えています。ボーっと天井を見上げているだけの夜を過ごす。ものすごく疲れているのに、全然眠れない、何も食べられないという日が続きました。
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ソウマさんの手記「30年を共にした同性パートナーとの死別」
◆はじめに
私(仮名:ソウマ)当時49歳
同性パートナー(仮名:カオル)死亡時50歳
パートナーの死因:卵巣癌
18歳の時に出会い20歳から交際開始。22歳から亡くなるまでの27年間同居し、トータルで約30年間を共に過ごした。
老後まで一緒に過ごすつもりで終の住処となる家を建てたものの、引越しからわずか10ヶ月でカオルは他界。
※ソウマさんの手記は<闘病篇><葬送篇><死後事務篇><再生篇>の4つに分けてお届けします。 -
A(50代ゲイ男性)の死別体験記